〉〈石嶺塾〉〈

こどもが自ら学び成長していくことを応援するブログです!!

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てぃーだイチオシ
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囲碁教室浦添囲碁会館

級位者の会、発足!!

沖縄囲碁愛好家の方にお知らせです!!
今回、級位者の方のために、会を発足することとなりました!!

碁会所にいっても、近しい級の相手がいない……
普段は碁会所に行かないのだけれど、という方も!

これを機にぜひ囲碁仲間の輪をひろげちゃいましょう(^^♪

囲碁教室

囲碁教室inあおば

囲碁教室

入門者から初段を目指す方まで、琉大囲碁部元部長の阿部が優しく指導いたします。
思考力や集中力がつく囲碁をこの機会に始めてみませんか?
お子さまも、大人の方も、定年後の趣味を見つけたい方も、老若男女問わず楽しめるゲームですよ!!キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ 

日時:
毎週土曜日
10:00~12:00

毎週日曜日
10:00~12:00

月謝:週1コマ4000円(月4回)
  週2コマ5000円(月8回)
※琉大生無料

場所:志真志2-5-12あおばマンション305号


お問い合わせは、
ishiminejuku@outlook.jp
または09029984114までお気軽にどうぞ!

学習塾

共に学ぶということ

今日は浦添市の社会福祉センターで「ステップアップ囲碁大会」が開催されました。
今回で4回目となるこの大会ですが、9級から三段までの方を対象にしています。
年々参加者も増加傾向ですよ!!
囲碁普及の観点において、やはり入門者から級位者、低段者の方たちの存在は大切と思います。
そして何よりこの層が楽しめる機会がより多くあることが沖縄囲碁界がより活発化していくと思います。
いい循環が作れるといいですね。

今日は12級の子が9級で出て、そして優勝して7級の認定をもらっていました!!
破竹の勢いの成長です。先週は14級だった気がするのですが……。
すごいなぁ、とつくづく思います。


ここで私は子供の成長、そして学習に関してひらめいたのです。

いかに学ぶべきなのか。
これについてです。

基本的に学びとは孤独なのだと思います。
学校や塾に行くことで、環境を与えることはできます。
その学習の量や質は、学ぶ本人の意欲が高くなければまったく意味をなさないのです。
これは自明の理といいますか、当たり前のことを言っているのですが、しかしとても大事な観点だと思います。

その教育が本当に子どものためになっているのか?ということです。
指導する側にとって、良い生徒であることが、子供の成長につながりますか?
親にとって、良い子供であることが、子供の成長につながりますか?
この質問は何を指しているのでしょうか。
私が言いたいのは、子どもの本当の姿が見えているのか、ということです。
この前提が抜け落ちていると、子どものためによかれと思ってやったことが裏目にでることでしょう。

孤独な学びに指導者はどう手を差し伸べればよいのでしょうか。
安直な表現でいうなれば献身的なサポートであり、なおかつ、指導者自身が何もしないことだと思います。
矛盾したといいますか、変な表現ではありますが私はそれが最善だと考えます。
それほど目新しい観点でもなく、学習者に自ら気付きの機会を与えるのです。
そして、信頼関係を構築したうえで有益な情報、効率的な学習方法の提示を、学習者の習熟度に合わせて行っていけばいいのです。
言うは易し、ですが難しいものでもあります。

例えば囲碁における学習に関して考えてみましょう。
基本的に大事なのは、やはり詰碁や手筋といった基礎的な力を養うこと、石の形や石の方向感覚、そして大局的な戦略などを身につけるでしょうか。
正直な話、プロや高段者のレベルの話は級位者に必要ありません。というかむしろ悪影響ですね。
棋力に応じて情報を提示してあげないといけません。
入門者に石の効率の話をするのは正直頭が悪いとしか思いませんよね。ふふふ。まぁ、触る程度には必要と思いますが。(←独り言)
その人が持って帰れるように情報を渡してあげましょう。

必要な情報はネットなり書籍なりでいくらでも手に入る時代です。
問題なのは方法論やら技術的なことではないのです。
結局、その人が意欲的に取り組めるかどうか、これが根幹に据えられていないと、すべてがちぐはぐになってしまいます。
その人が正しいと思っている指導法を画一的にその人に当てはめるのではなくて、その人の人となりを見てその人にとって一番効果的な学習方法と情報を、その人が自分の力で探し出し見つけ出していくように導いてあげるのです。
一般論で事足りるならそれで構いませんし、画一的な方法論で事足りるならそれで構いません。
ですが表面上だけをすくって、その人の本質を見ようとしないのは、ちぐはぐ、ナンセンスです。
――ちなみにですが、ここには落とし穴があります。指導者が自分の指導力を過信し、本質を見抜いていると誤謬すること、これは避けなければならないです。人は分かり切れるものはありません。しかし、寄り添いしっかりと見つめていくことで本質を見極めようとする態度が根底になければならない。葛藤の中でも、誤謬に陥らず、それでも信念を貫くバランス感覚が必要でしょう。――


つまり、何が言いたいかというとですね。
その人とちゃんと向き合っていけば、学びはうまいこといくんだよ!ということです。
そこには共に学ぶということが含まれています。
向き合うということは共に学ぶということなのです。



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